車いすテニスを支えている人たちVol.2 (前編)櫻井 健太さん (目白大学 保健医療学部言語聴覚学科 専任講師)
目白大学専任講師の櫻井健太さんは、さいたま岩槻キャンパスで体育講師の仕事をしている傍ら車いすテニスの活動をしています。今回は活動内容についてインタビューしてきました。
〇車いすテニスと出会ったきっかけは何ですか?
私は体育の教員なので授業でテニスコートを使用していたのですが、テニス部顧問の仲本先生と「テニスコートは授業で少ししか使わないし、部活も活発ではないのでもったいないね」とよく話をしていました。その頃はオリンピック・パラリンピックが東京に決まり盛り上がっていた2016年頃で、仲本先生がテニス仲間から練習場所に困っている車いすプレーヤーがいるらしいという話を聞いてきて、うちはハードコートで車いすの人が練習するうえでも適したコートなので、有効活用するためにどうかというアイデアをいただきました。
私は有効活用するのは賛成だし、学生も東京パラリンピックのボランティアに行くなどの活動を通じて自分たちの力で積極的に参加できたらいいと思っていたので、「じゃあ車いすテニスの人たちにうちのコートを使ってもらえるか、やってみましょう」という話になりました。
目白大学には学生の自発的な行動をサポートする「*SPIS(スパイス)チャレンジ」という制度があり、それで車いすテニスの人たちを呼びましょうということになりました。まずは私の所属学科の言語聴覚学科の学生たちと一緒にやってみようと思ったのですが、実際学生から直接声をかけるのは難しいので、大学はさいたま市の岩槻にあることから、埼玉県車いすテニス協会のHPを見つけて、そこに直接メッセージを送りました。
なので、最初から車いすテニスの人たちと繋がっていた訳ではなくて飛び込みです(笑)。
*SPIS(スパイス)チャレンジ制度…「SPIS(スパイス)」とは「Students Project Incentive Scholarship」の略。好奇心旺盛な学生にそれぞれが抱いている夢の実現にチャレンジしてもらおうと、資金の一部を大学が支給する制度。目白大学HPより抜粋
〇車いすテニスの活動はどのような内容ですか?
最初の年は車いすプレーヤーと健常者のニューミックス交流イベントを開くのを目標に、テニスコートに慣れてもらおうということで定期的に練習を始めました。
1年目は学生主体の活動ということでやりましたが、手ごたえがあり続けていきたいなということで次の年からは現在おこなっている地域連携事業に変えました。何が違うかというと、学生主体の「SPIS(スパイス)チャレンジ」だと予算が1回しかつけられないので2年連続はできないのですが、地域連携事業は教員主体で継続してできるので、長い目で活動するには地域連携事業の方がいいということになりました。
私と仲本先生の名前で埼玉県車いすテニス協会との連携ということで、2年目からは月1回の定期的な休日練習会と新たに平日の練習会、川越で行われている「彩の国 川越水上公園車いすテニス大会」へのボランティア参加、大学内のイベントという柱でスタートして、現在も引き続き活動しています。
〇平日の練習会ではどのような練習をしていますか?
平日の練習会というのは、最初に話していた練習場所に困っている車いすプレーヤーが東京パラリンピックを目指しているということを知り、平日練習も支援としてできるんじゃないかということで週1回始めた練習会です。そこに平日でも練習できる選手が数名参加してくれて、テニス強化練習だけではなくトレーニングなどもやりました。
東京パラリンピックが終了した現在は、強化練習という目的ではなく、普及や交流目的に変化していますが続けています。
〇2016年からだと現在まで6年は続いていますね、長いですね。
今は7年目で、現在は地域の人たちと一緒にテニスをやっていて人数も増えてきました。この活動の場所で初めてテニス用車いすに乗って、車いすテニスを始めた人がいます。現在も一緒にやっていて車いす操作が上手になりました。こういう場があったから車いすテニスに出会えたと思うと、続ける意味はあるのかなと思ってやっています。
〇テニスコートもそうですけど、駐車場やトイレがバリアフリーで、ここまで設備が整っているテニスクラブはあまりないので、良い環境ですね。
うちの大学は、たまたま医療系の学部があるからバリアフリーな校舎もあるし、テニスコートに関して動線などは車いすで通れるように大学に掛け合って改造させてもらって、そういうことはしましたけど、条件は整っていたのかなというのはあります。
〇参加人数が増えましたね。
そうですね。やっぱり数年やっていることでまず埼玉県車いすテニス協会の皆さんが当たり前のように参加できるようになったし、私がいなくても健常者の人たちとニューミックスゲームをしたり、お互いに関係ができてきたのは続けてきた功績なのかなと思います。
本来であれば、学生たちが車いすテニスに関わることで障害者スポーツに興味を持ってもらって、さらに東京パラリンピックでボランティアにも参加してということを最初は思い描いていたのですが、新型コロナでそういうこともできなくなりました。でもその代わりに、うちはちゃんと感染対策した上で、コロナ禍でも平日練習や休日練習を続けることで少しでも皆さんの練習場所として提供できましたし、学生たちもたまに観に来てくれるようになったので、東京パラリンピックには参加できなかったけど、そういう良さはあったと思います。
車いすの人たちと当たり前のように交流して話を聞く機会を作れるのがいいことなのかなと思っています。
次回、車いすテニスを支えている人たちVol.2(後編)では、車いすテニスの人の印象や今後の活動についてお話いただきます。
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